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私のピアノ人生③グループレッスンから個人レッスンへ

早いもので5月も最終日🌿あじさいが色づく季節となりました。

私のピアノ人生シリーズ第3編です。このシリーズは取り上げるほどの大した記事では無いのですが、ピアノ学習者の何かしらの参考や一助になる事を願って記憶にある断片を細々と綴っております。そんな感じでご一読いただけると幸いです。

さて、ヤマハのピアノレッスンでグループレッスンを続けた幼稚園時代。年に1回の発表会があり人生で初めてピアノ発表会を経験する事になりました。しかしピアノは弾かず(え?!)
私はグロッケン(鉄琴)の担当だった記憶があります。とにかくピアノでは無かった!
今もそうかもしれませんがグループレッスンの子は他の教室の生徒さんと集団で合奏を披露するのです。曲目はドレミの歌・・・?だったか何だったか。良く覚えておりませんが、そんな辺りの曲でした。

合奏だとピアノのソロと異なり、曲の最初から最後までずっと出番がある(弾き続ける)という事はありません。むしろ休みの部分が多く、譜面の読み方もまだ未熟な中で他のパートを聴きながら休みを数えて、しかるべき所で自分のパートを打ち鳴らす。かえって高度なのでは?と今は分かりますが、当時はおそらく先生が色々と指示を出してくれたので、それに合わせてグロッケンを奏でておりました。

そんな集団アンサンブルの練習を発表会の本番に備え自宅のピアノで練習していた訳です。発表会の記憶は曖昧でもこの時の自分の感情は鮮明に覚えています。

「なんでグロッケンの練習をピアノでせなあかんのじゃ」と。

しかも、自宅の練習では合図を出してくれる先生もおらず、他のパートと楽器を担当している生徒さんもおらず、自分の練習が合ってるのか間違っているのも分からず適当に練習をしておりました。

しかし、全体像を把握出来ている母からは合奏において自分の受け持ちパートをしくじれば全体に影響が及ぶ事が分かっているので「もっとちゃんと練習しなさい!」と言いつけられた訳です。

当時、おつむの理解が追いついていない幼少期の私はグロッケンの練習をピアノでする事、弾けていないのに弾けた気になって親に咎められる事の意味が分からず、その憤りの捌け口をピアノに八つ当たりするという暴挙に出ました。
最初はアップライトの下部のカバーを親の目を盗んではゲシゲシ蹴っておりましたが、ある日あまりの弾けなさにとうとう中央のミとファの鍵盤に噛みついて乳歯の前歯で力一杯引きちぎるように噛んだのです。その時の「ざまあみろ」という清々とした気持ちは今でも忘れません。今思うと、なんていうガキなんだと自分で自分を恥ずかしくなりますが脚色も何もなく事実をお伝えしております。

数日そのままで、瞬間的な怒りを発散させた私は穏やかに練習に取り組めておりました。ところがある日母に鍵盤の傷が見つかり「なんて事したんだ!!!」とクソミソに怒られたのであります。そりゃそうですとも、母が周囲の家族を説き伏せてやっとこ買ってもらった高額なピアノを1年経たずして傷物にしてしまったのですから。幸い機能的な問題は全く無くその後も音大受験まで叶えたくれたピアノになった訳ですが、流石に今は心の底からごめんね、と思います。

かくしてピアノ発表会?は無事に終わり、小学の入学が近づく頃には母もグループレッスンのままではこの子には向かないなと感じ始め、年長の終わりにいよいよ市内の個人のピアノ教室へ移ったのでした。ここからが、いわゆる私の今のピアノ学習の土台を培う時期となっていくのです。

上記のピアノ噛みつき話は、「先生、うちの子がちっともピアノを練習しなくて。でもピアノは好きだから辞めたくないらしいんですけど一向に上手にならないからどうすれば良いですかね」というご相談をされた親御さんと生徒さんにお伝えしているのですが、何を隠そう目の前にいるピアノの先生こそ誰よりも練習しないお子様だったのです。開き直って言える事ではありませんが、練習しないお子様がまさかピアノ講師になるというパターンも実例としてあるので、お子さんがピアノを嫌いじゃ無い限り見守ってあげてくださいとお伝えするのです。ピアノのレッスンもタダで受けられる訳ではないので手放しに待てるというのも難しい所ですが、私の母はよく「(習い事に関しては)お金をドブに捨ててるかと思った」と言っておりました。耳の痛い所ですが、辞めさせないでいてくれた事に本当に感謝しかありません。何が起こるか分からないから。

その練習しないお子様は、個人のピアノ教室に移っても練習する癖が中々定着しませんでした。つづく。