ピアノを習って得た副産物
3連休の中日、秋晴れの爽やかな日和となりました。
いつもは教室や生徒さんとの出来事を綴る事が多いですが、今日は自分の事を振り返ってみようと思いました。
最近、年齢を重ねるほどにピアノを学んできて良かったな、救われたな、と思う瞬間がよくあるのです。それはピアノを弾く技術が上がったとか、念願の曲が弾けるようになったとかそういう事ではないのです。
綺麗ごとではなく良かったなと思う点は、
1、美しい物への追及・継承
2、世界観が広がる
3、セルフメンテナンス
です。いずれもの子供の時には見えなかったことでした。
大人になって少しずつ経験を重ねてくると、生きる事の大変さ、自分の采配だけでどうにもならないようなシチュエーションに直面する事はままあります。そんな時、思考や感情はマイナスに振られがちになりますが、ピアノが持っているパワーと言いますか、ピアノに限らず打ち込める何かがあるとそれが全てプラスの動力の源になっている事を感じます。色々あるのですが特に念頭に上がったのが上記の3つでした。
また、綺麗ごとではなく苦労をして得てきた事もありました。
それは、
1、忍耐
2、コミュニケーション力
3、つじつま合わせ力
最初は楽しく始めたピアノですが、曲の難易度が上がったり練習時間の配分が上手く出来ないようになると辛くなるものです。そんな時はいつも葛藤でした。義務教育でもありませんでしたし、投げようと思えば辞められたと思いますが続けてきた事は本当に、今の社会を渡り歩いていくのに大いに役立っているのは間違いありません。義務教育の範疇でなかったからこそ、自分で言い出したことは最終的に自分でケツを持つ!というのを身をもって叩き込まれました。最近は自分の事を棚にあげて他者に責任転嫁をするような風潮が目立ちますが、その考えでは自己の中での根本解決はいつまでたっても辿り着けないと思うのです。全てとは言えませんが忍耐や物事の順序を知る事は自己解決の一手段ともなりました。
つじつま合わせ力は私の造語です。学生時代、毎回のレッスンは成果を出していないと一気に恐怖のレッスンに変わりましたから、仮に練習を十分に準備出来ていなかったとしても何とかその場を乗り切らねばなりません。ピアノでどうにか出来るところはどうにかし(大抵小手先のごまかしは見破られますが何もしないのが一番マズイ)、ピアノでどうにもならない時は先生の注意を他に向けたりして無い知恵を回しました。
このシチュエーションにおいては練習していれば済む問題ですが、仕事となると予測不能な事態になる事もよくあります。そんな時、まごまごして手をこまねくよりも結果に結びつかずとも何とかその場をやりきる!という対処が出来るようになりました。
一芸にひいでる
芸は身をたすく
等の言葉がありますが、一つの物事を貫き通す事はあるゆる物事の対処する能力が身に付き(トランプで言うとジョーカーのような)、身に付いた能力で己自身が救われているというのは正に実感として手ごたえがあります。
お稽古との付き合い方は皆さんそれぞれの形があると思いますが、是非ピアノが上手になる事に加えて皆様の何か助けとなりますればこの上ない喜びとなるでしょう。